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3.庁舎のデザイン

源 流

 旭川総合庁舎を設計した佐藤武夫は旧制上川中学(後の旧制旭川中学、現・旭川東高校)に通っていた頃の思い出を著書「花燈窓」の中で次のように記している。

 「わたくしは旭川で足かけ三年を過ごした。当時中学校の一年生で、酷しい寒さの中を一里ばかり距った上川中学へ通ったわけである。十月の末から翌年の四月ごろまでは、雪の中を歩くのが辛かった。半年近く灰色の空と一面の雪におおわれた世界の中で、小さな煉瓦造の建築などを見て通ることは、視覚の中で落し物を見つけたように嬉しかった。旭川の市庁舎を設計するに当たって、わたくしはこの実感を最初に思いおこした。煉瓦を壁に使おうと心に決めたのである。それもコンクリートと煉瓦を交錯して鮮やかなチェックの模様を、あの灰色の半年の空に聳立させようと考えたのである。」

 多感な少年の脳裏に刻まれた旭川の原風景「灰色の空と白い雪、その中に建つ煉瓦の建物」が、総合庁舎のデザインに活かされたのだが、そうした建物のいくつかは今も市内のそこここに見ることができる。

 1899(明32)年、旭川駅の車両基地内に建てられた工場棟(現・市民活動交流センター「CoCoDe」)、1913(大2)年、やはり駅の近くに建った上川倉庫群(現・「蔵囲夢」)、あるいは1914(大3)年の神谷酒造(現・合同酒精旭川工場)赤煉瓦蒸留塔などがその例に挙げられる。

合同酒精
CoCoDe
合同酒精
旧上川倉庫

系 譜

総合庁舎の設計に当たり、旭川市は庁内建築課の職員5名を東京の佐藤武夫設計事務所に出向させた。その一人、石崎繁敏氏(後に(株)中原建築設計事務所社長、現・(株)アーキ・ファイブ取締役会長)は当時を振り返り、「銀座、数寄屋橋のたもとにあった事務所に毎日通い図面を描いた。その経験が役所に戻ってから公共建築の設計に活かされた。」と語っている。実際、今も常磐公園東端にある市の施設「常磐館」(旧・旭川青少年科学館)や、2013年3月まで「石狩川治水学習館(川のおもしろ館)」として市民や観光客に親しまれた建築には市庁舎デザインの影響が色濃く認められる。戦後、外壁に煉瓦をあしらった小中学校の校舎(春光小、東五条小、光陽中など)も造られているが、1960~70年代の「打ち放しコンクリートとレンガ意匠」の校舎には市庁舎の「DNA」が息づいている。建て替えや改修で当時の姿を今も残す学校は少なくなっているものの、1986(昭61)年の調査によれば、小学校10校、中学校2校がそのようなデザインであった(吉田馨・荢毛均/1985年度北海道東海大学芸術工学部建築学科卒業論文)。更に、現在進行中の旭川駅周辺開発「北彩都あさひかわ」では、開発区域全域を「景観計画重点区域」に指定、特に、宮前通、宮仲通沿道の景観形成の方針として「建築物には外壁の全部または一部に煉瓦を使用すること」とし、地域性豊かな街並形成を図っている。

上川総合振興局とCoCoDe 
旭川駅前広場 
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