2.庁舎の誕生
旭川市総合庁舎の出来るまで
「旭川市総合庁舎落成記念誌」より一部加筆修正
旧旭川市庁舎は、明治44年に新築されたもので、当時人口4万9千人余の旭川としては、全道に誇りうる立派な庁舎であった。しかしその後50年、人口の増加と事務量の増加につれて狭隘となり、幾度か増築を重ねた。しかし戦後の急激な市勢の膨張で、最早や増築の敷地すらなくなり、市の機構の半数に近い部局を庁舎外に分散して執務する事を余儀なくされ、事務の不能率はもとより、市民に与える不便さは、その極に達した。加えて建物の老朽化は戦後すっかり面目を一新した市の都市美を損ねる粗末なものとなり、市の対面を保持することもできない状態になった。ここに至り、新庁舎の新築は市議会でも取り上げられ、市民の強い世論とさえなり、市政の重大な急を要する課題となった。竣工に至るまでの経過の大要は、次の通りである。
1956(昭和31)年 9月15日 市総合庁舎建設促進審議会を設置。
1957(昭和32)年 2月 5日 旭川市総合庁舎建設事務処理規定を公布。
旭川市総合庁舎事務を設置。
3月13日 市建設部建設課員を東京都佐藤武夫設計事務所に派遣、
市庁舎の設計を同事務所と共同であたらせる。
3月20日 市総合庁舎(市庁舎、公会堂、図書館)の建築費として
455,938,000 円を市議会において可決。
6月13日 市庁舎の地鎮祭、起工式。
1958(昭和33)年 4月23日 公会堂、図書館の地鎮祭、起工式。
10月30日 旭川市総合庁舎(市庁舎、公会堂、図書館)竣工。
道知事・道議選 電柱に候補者のポスター
庁舎入口
市役所新庁舎建設中
旭川市総合庁舎の設計案について
佐藤武夫
旭川市の現庁舎は明治35年の木造建築ですでに老朽しており、加えて戦後の急速な膨張で16万余の人口をかかえるに至った市政を賄うには狭小をきわめる状態である。ここに人口30万の予想人口をめざした新市庁舎が消防署を含めて総合庁舎と呼ばれる形で計画されるに至ったのである。敷地は現市庁舎の隣りの三方道路に囲まれた約4000坪、小学校に隣接した矩形の絶好の土地である。都心でありながら偶々ここは住居地域なので急いで商業地域に地域変更の手続きを進めながら、この比較的潤沢な面積を利用して、のびのびとした計画を打ちだすことができた。計画案は最初市の建築課で作製された。これに対して私は卒直に勝手な意見を提出し、かなり思い切った修正を加えていただいた。さらにそれを原案として両者協議のうえ基本設計を確定したのである。実施設計にあたっても、寒地建築としての特殊事情などに現地側の知見を動員する必要を感じ、乞うて市の建築課員数名に長期の出張を煩わし、私の事務所内で完全に協同態勢で作業して貰うことにした。この意味でこの設計は両者の協同設計なのである。特にここに記述しておきたいと思うことは、私のこの設計に対した基本的な考え方、そのうちでも特に創作上のイメージについてである。旭川には私も少年時代の数年をすごした由縁と同時に、そこでの生活の経験がある。このことは重要な意味をもっている。少年時代への回想が心愉しくよみがえって来て、私を励ましてくれたばかりでなく、少年の頃とはいえ、あの半年の雪にうもれた寒冷の環境に対する実感は、いまの私のうちにもまざまざと生きているからである。建築の風土性のことを考えるとき、その風土の事物的な面と並んで心象的な面をも尊重しなければならぬことを、観念としてでなく実感として私は感じそして訓えられたような気がする。極寒多雪地帯の建築としてのさまざまな技術上の諸注意と同等の比重で、いやそれにも増してあの半歳の間の雪に埋もれた灰色の世界のやるせなさに憩いを致すことでそれはあったのである。ながいながい冬の間、この地方の人々は色に飢えるのである。煉瓦のカーテン・ウォールとコンクリートの骨組、その赤と白のチェック・パターン、金属グリルの燦然とした黄金色。等々はこのことへの応答である。低層を必要とする窓口部門や市議会関係、消防署を除いたいわゆる企画部門は一括して地上9階の高層化した塔状に扱ったのもかえって都市としてのスカイラインの意識からである。この構想が最初から市当局によく理解されたばかりでなく、起工式の際に辨じたこの意味のことばに対して参列されたこの土地の多くの人びとから共感を寄せられたことは嬉しかった。神居古潭の渓流にそって旭川盆地に滑りこむ車窓から、近文の駅あたりから展がる旭川市街への一望のパノラマの中心に、大雪山を背景としてこの建築が座を占めるのも来年の雪の季節からだろう。(「建築文化」昭和32年7月号別冊より)
校庭のブランコ
旭川市庁舎新築工事概要
構造規模:鉄筋コンクリート造及び鉄骨鉄筋コンクリート造
地下1階地上9階建 塔屋4階一部2階建
建築面積 2,773.00㎡
延床面積 11,240.91㎡
工事金額:3億5千万円
工事期間:起工 昭和32年 5月
竣工 昭和33年10月
設計監修:佐藤武夫設計事務所
工事施工:株式会社 戸田組 建築主体工事 株式会社 戸田組
暖房設備工事 高砂熱学株式会社
機械衛生設備工事 株式会社西原衛生工業所
電気設備工事 旭日電気工業株式会社
昇降機設備工事 三菱電気株式会社
壺屋総本店
新庁舎落成記念社会事業資金造成バザー会場
陶器に絵付けの様子
本庁舎裏 消防車
旭川市中心部俯瞰
「資料提供:旭川中央図書館」