4.建築家・佐藤武夫
「わたくしは旭川で足かけ三年を過ごした。当時中学校の一年生で、酷しい寒さの中を一理ばかり距った※上川中学へ通ったわけである。十月の末から翌年の四月ごろまでは、雪の中を歩くのが辛かった。半年ちかく灰色の空と一面の雪におおわれた世界の中で、小さな煉瓦造の建築などを見て通ることは、視覚の中で落し物を見つけたように嬉しかった。旭川の市庁舎を設計するに当たって、わたくしはこの実感を最初に思いおこした。煉瓦を壁に使おうと心に決めたのである。それもコンクリートと煉瓦を交錯して鮮やかなチェックの模様を、あの灰色の半年の空に聳立させようと考えたのである。」
(佐藤武夫 火燈窓 相模書房 1969年)※現 北海道旭川東高等学校
略歴
1899 年 名古屋市主税町に生まれる。
中学校は名古屋の明倫中学校から北海道旭川中学、そしてまた山口県
岩国中学校へと転校。
後年の作品に縁の深い旭川中学、岩国中学で多感な少年時代を過ごす。
1924 年 早稲田大学理工学部建築学科を卒業。
1925 年 大隈講堂の設計をきっかけに、建築音響の研究に進む。
1926 年 日光東照宮の「鳴竜現象」を解明。
1932 年 「フロリダダンスホール」改修工事
1933 年 「鴟喃荘」竣工
1935 年 「オーディトリアムの音響設計に関する研究」により早稲田大学より
工学博士の学位を受ける。
1938 年 早稲田大学教授となり、建築計画学、設計製図、音響学を担当する。
1945 年 終戦。自宅(東伏見)で設計の実務を始める。これが佐藤武夫設計事務所の
発足の原点となる。終戦直前の3月、戦時下最後の建築「岩国徴古館」竣工。
1951 年 早稲田大学教授の職を辞し、設計事務所の実務に専念する。
岩国市顧問として「錦帯橋」復元工事に参画。
1952 年 秋、ユネスコ国際芸術家会議に建築家代表として出席。
1957 年 日本建築学会会長に就任。
1958 年 「旭川市総合庁舎」竣工
1960 年 「旭川市総合庁舎」が日本建築学会作品賞受賞
1967 年 建築文化の向上に対する多年の業績により日本芸術院賞受賞。
1970 年 「北海道開拓記念館」竣工
1972 年 4月11日、死去。亨年73才。
1973 年 「北海道開拓記念館」が日本建築学会作品賞受賞
北海道開拓記念館
防府市公会堂
防府市公会堂
岩国市庁舎
長野市民会館
葛飾区総合庁舎
福岡県文化会館
大津市庁舎
熊本市民会館
新潟県民会館
岩国市庁舎
熊本市民会館
「写真提供:佐藤総合計画」